今回は、俳優で現在は音楽イベントプロデュース会社の社長である小橋賢児さんを見てみます。
小学校3年生だった1988年に子役デビューしてから映画監督などを務めた後、実業家として転身した小橋賢児さん。
1979年8月19日生まれ。東京都出身で子役デビューしてから2007年まで活動後、2年程の休止期間を経て映画監督としてもデビューし現在、俳優業の引退はしていないがメインを音楽イベントプロデュース会社の社長として活動しています。
【小橋賢児の嫁とブランド?】
小橋賢児さんは、2007年まではNHKの朝ドラなど数々の映画ドラマと出演していましたが、活動休止後は俳優としてテレビに出ることがかなり減っているので、誰なんだろう?と思う人も多いかもしれません。
1990年から2000年あたりにかけてのドラマ『家なき子2』や『海猿』などに出演されていたので30代より若い人たちは知らないかもしれないですね。小橋賢児さんの仕事に関しては後に語るとしますね。
2016年7月に小橋賢児さんは結婚したのですが、お相手は4歳年下のファッションデザイナーとのことです。元モデルで現在は自らのブランドを展開しているデザイナーさんです。
モデルと言われれば雰囲気がありますね。2006年に”MURUA“ムルーア、さらに2016年に”UN3D“アンスリードというファッションブランドを立ち上げ、現在ムルーアの大元になるMARKUSTYLE株式会社のデザイナーが主な仕事のようです。ムルーアに関しては全国に10店舗ほど展開しているほか、楽天などのネット通販でも購入できるそうです。
【名前と画像?】
奥さんの名前は、荻原桃子さんと言います。大阪出身の現在35歳です。
18歳からアパレル業界に入りショップ店員をしながら読者モデルをしていました。店長やデザイン、海外での買い付けなど経験を積み、地震のブランドを立ち上げ全てを統括するプロデューサーとなりました。
2017年には第1子の男の子“瑛斗”くんが誕生しました。”瑛斗”くんは小橋賢児さんと荻原桃子さんのインスタグラムによく登場しているそうで写真からは幸せな感じが溢れています。
絵になる1枚ですね。
【現在は?】
さて現在の小橋賢児さんはメインをイベントプロデュース会社の社長としています。
最近、『ダウンタウンDX』や『アウトデラックス』などに出演して過去から現在を語っていました。
小学校3年生の時バラエティー番組の観覧席の応募と勘違いをしてオーディションに応募し見事合格してしまい子役としてデビューしました。当時家庭は貧乏だったそうで中学の時は新聞配達などアルバイトしながら子役をやっていたとのことです。自由な時間はなかったでしょうね。
30歳を目前に”俳優としてどうしたら良いのだろう?”と将来に疑問を感じたそうで、2007年に突然俳優業を休止して、アメリカに旅に出たのです。DJなど経験し音楽イベントの『ULTRA MUSIC FESTIVAL』を知り感動したそうです。さらにイベントプロデューサーという仕事も知りました。
2009年に日本に帰国後、『ULTRA MUSIC FESTIVAL』を日本でも開催したいと活動を始めクリエイティブディレクターを任されました。見事イベントは大成功となり、2017年に自身の会社を立ち上げるまでになりました。裏方としてイベントだけでなく、2012年には映画監督も務めました。
9万人の動員数とも言われています。大規模なイベントですね。精力的に活動していたのですが、なかなか売り上げは上がらず、ストレスで肝機能障害を起こし2か月間寝たきりになったそうです。当時、テレビに出なくなりガンで入院しているのでは?と噂になったこともありました。体調が回復した後、小橋賢児さんはファッションショーなどの裏方のアルバイトなどもしながら仲間の協力で会社は軌道に乗ったようです。
【華原朋美とフライデー?】
新しい道を見つけた小橋賢児さんですが、黒歴史と言われる出来事がありました。最近、結婚を明らかにしませんでしたが妊娠が発覚したとワイドショーで速報が流れた華原朋美さんとの浮気スクープです。
2012年に週刊誌のフライデーに写真入りで発表され、当時華原朋美さんと交際していた小室哲哉さんとの破局の原因と言われました。
わがままという華原朋美さんに嫌気がさして小室哲哉はKEIKOさんとの浮気に走って、寂しかった華原朋美さんも親交のあった小橋賢児さんに浮気したしまったようです。
小室哲哉さんと華原朋美さんの破局は、かなり酷い別れ方だったようで、華原朋美さんの情緒不安定な行動や言動は子の破局から始まったと言われています。他にも沢尻エリカさんとの交際など女性関係がいくつかあるようです。
今回は小橋賢児さんさんを見てみました。過去は過去として、現在新しい道を見つけて家族もできて小橋賢児さんの原動力になっていると思います。益々イベントプロデュース会社の社長ととして躍進してほしいと感じました。
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