長野智子さんは1962年12月24日生まれで、報道キャスター、アナウンサー、専修大学特任教授として活躍されています。
画像出典元:女性自身
一説では戦国武将の長野業正の子孫ともいわれていて、ちょっとすごい方のようですね。長野智子さんはアメリカのニュージャージー州に生まれました。しかし物心がついてからの渡米は2回程度くらいだそうです。そこで今回は、長野智子さんの夫について詳しくご紹介していきたいと思います。
長野智子の旦那(夫)は伊藤浩明?
長野智子さんは1990年に一歳年上の伊藤浩明さんとご結婚されました。結婚当時、長野智子さんは28歳で旦那さんは三菱商事に勤めておられました。長野智子さんは結婚を機にフジテレビを寿退社されています。伊藤浩明さんは三菱商事のエリートサラリーマンといわれていて、2015年には三菱商事のアルゼンチン支社である亜国三菱商事会社の社長に就任されていて、かなり優秀な方のようですね。
しかし、長野智子さんの家庭は祖父と父親が商社マンだったこともあって転勤などが多い職種よりも芸術家などの職業の方と結婚したいという気持ちがあったんだとか。そんな長野智子さんですが、旦那さんからの猛アタックを受けて結婚を決意したそうです。
というのも、旦那さんは赴任先である海外から毎日国際電話をかけたり、誕生日には年齢と同じ数のバラをプレゼントするなど、女性が喜びそうなことばかりしてくれたそうですよ(^^♪そんな旦那さんの気持ちを受けて見事ゴールインを果たし、1995年には旦那さんの赴任に伴って渡米されています。
やはり女性は男性に花束をもらったり積極的にアプローチしてくれた方がいいですよね(^^♪旦那さんは長野智子さんを思う気持ちやアピールをサラッと行動にできてしまうところがとってもかっこいいですね。長野智子さんが芸術家ではなく旦那さんを選んだのはまさにこういうところなのではないでしょうか!女性が憧れるような旦那さんですね☆
長野智子の旦那(夫)の画像は?
長野智子さんの旦那さんはエリートですごい方ですが、残念ながら一般の方なので画像は見つかりませんでした。一般男性とアナウンサーの方がどのように出会ったのかとても気になりますが、お二人の出会いはニューヨークだったそうです。
人気アナウンサーの長野智子さんは夏休み休暇をもらって母親とニューヨークへ旅行に行きました。そのときにたまたま友人から紹介されたのが現在の旦那さんなのです。まさに運命の出会いですよね。いつ交際がスタートして、どれくらいの期間お付き合いされていたなど詳しいことは不明でしたが、ニューヨークで出会うなんてめちゃくちゃ憧れますよね(笑)
長野智子さんは人気アナウンサーだったのでお休みもなかなか取れず、もし休みがずれていたらお二人が出会うことはなかったのかもしれません。とっても素敵な馴れ初めですね☆
長野智子とひょうきん族の事件?
長野智子さんはフジテレビのアナウンサーだったとき、バラエティー番組『オレたちひょうきん族』に出演されていたんです。現在の長野智子さんのイメージといえば報道などのアナウンサー業ですが、バラエティー番組にも出演されていたなんて意外ですよね!!
懐かしい❗️#ひょうきん族 で
長野智子さんが新人の時#西川のりお が胸を後ろからわしづかみ‼️#山田邦子 のつぶやき『蹴っちゃいなよ』
全てがここから😎✨#何人トリオ#横澤彪 プロデューサー#島田紳助 #ビートたけし とか
めちゃくちゃしてたけど
実は天性の感をベースに計算された笑い https://t.co/P0VTAWYC7O— 🍷日本 🍔NY 時々 españa🇪🇸 (@ZooTurkey) February 23, 2021
長野智子さんの人気が出たのもひょうきん族への出演がきっかけだと言われていて、番組内では胸を触ってきた芸人を蹴飛ばすなどなかなか体を張っていたみたいです(笑)現在のテレビでは放送できないことも多く、スカートをめくったり胸を触ったりとセクハラと言われてもおかしくないような内容で盛り上がっていたみたいですね。
しかし、そんな出来事を乗り越えた長野智子さんはお茶の間で人気の存在となり、瞬く間に知名度が上がっていったのですが、知名度が上がって嬉しい反面、報道をやりたいという気持ちと葛藤していたそうです。というのも、ひょうきん族で有名になれたのは芸人というプロがいたからで、それを自覚していたと語っておられます。天狗にならずとても冷静な方ですね。
長野智子さんはひょうきん族について『本当にいい経験だったと思います。生放送ではないけど一秒後に何が起こるかわからない番組で、学んだことも多くひょうきん像に出演していなかったら現在の年までテレビに出られなかったと思います。』と、ご自身にとって素晴らしい経験になったことを明かしておられます。
長野智子のサンデーステーション降板理由は?
長野智子さんは長く務めていたテレビ朝日の報道番組『サンデーステーション』を2020年9月に降板されました。この発表に驚いたのは視聴者だけではなく、長野智子さんご自身も驚きを隠せなかったそうです。
画像出典元:女性アナウンサー大図鑑
長野智子さんは降板を告げられたとき、頭が真っ白になったそうでかなりの衝撃を受けたそうです。長野智子さん曰く、この報道番組のために自分の一週間があったと言ってもいいくらい番組は大きな存在だったようです。また、現在はコロナ禍で多くの情報が必要な時。一体なぜという気持ちが大きかったと語っておられます。
これまで、番組をリニューアルするために再スタートという経験はあったそうです。また、サンデーステーションは視聴率がよく、数字が悪くないだけにその衝撃は大きかったものと思われます。
しかし、長野智子さんは若者のテレビ離れや消費ターゲットを13歳~49歳の若年層に切り替えたことも関係していると言われています。実際にサンデーステーションの視聴者層は年代が高く、長野智子さん自身も若い層をとることへのプレッシャーを感じていたとおっしゃっられているので、ご自身もそういったことを察知しておられたのかもしれません。
さらに現在はSNSが主流になり、ニュースは専門職が語るというものからタレントや人気のキャスターが務めることでテレビ離れを防ぎ、より身近にニュースを感じてもらおうという考え方がテレビ業界の中で主流になってきたことも背景にあると語っておられます。
長野智子さんはこれまで紛争地や危険地帯への取材、また震災などの被災者の声や冤罪事件などの社会事件を多く取材してこられ、現場での小さな声に目を向けてこられました。しかし、今ではコンプライアンスが厳しくなっており、さらにこれらの取材には莫大な費用と時間がかかるそうです。
現在はSNSでされもがニュースを発信できる時代になっていて、今のやり方は効率が悪いのではないかともおっしゃられています。長野智子さん自身は報道のあり方について「このままでいいのか」という疑問はあるそうですが、番組のスタイルが変わった以上は仕方がないとのことです。
ご自身の卒業も時代の流れだとおっしゃられていて、視聴者としては大変残念な気持ちです。個人的には長野智子さんのようなベテランアナウンサーの方が取材をして、現地の方の声を届ける方が身に染みてさまざまなことを感じとることができますが、時代の移り変わりも仕方ないことなのかもしれませんね。
長野智子さんのまとめ
ということで、今回は長野智子さんについて詳しくご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?長野智子さんはアナウンサーとして第一線で活躍するだけでなく、バラエティー番組などでも幅広く活躍されてきました。長野智子さんの明るくておもしろい雰囲気と、報道などのキャスターを務めるときのギャップはとっても素敵ですよね。
サンデーステーションの卒業はとってもさみしいですが、まだまだテレビで活躍していただきたいと思います!!今後も長野智子さんのご活躍を心からお祈りしています。
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