元プロレスラーとしてご活躍された馳浩さん。2024年7月現在は政治家として活躍されていて、1961年5月5日生まれということで、63歳になっているようですね。
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そんな馳浩さんは、2度の結婚と1度の離婚を経験されています。今現在のお嫁さんや元妻などを詳しく見ていきましょう。
馳浩の嫁(妻)は高見恭子!
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馳浩さんは、1995年3月にタレントの高見恭子さんと再婚を発表されました。1959年1月5日生まれなので、馳浩さんよりも2歳年上のお嫁さんということになります。
高見恭子さんは、14歳の時に雑誌「MIC SISTER」のモデルとして芸能活動を始めました。これをきっかけとして、テレビ番組への出演など多方面でのご活躍をされています。
実は馳浩さんと再婚された高見恭子さんも同じく再婚ということが分かっています。1990年4月頃美容形成外科医の松原正裕さんという年下の男性と出会い、1か月後の5月21日にはご結婚されています。
最初のご結婚はなんと4回のデートをしただけで決めてしまったという高見恭子さん。1990年9月5日にはハワイのマウイ島で挙式をされていますが、同年の11月末には離婚されています。
離婚理由は、価値観の不一致と言われていて、離婚の会見を同年の12月15日には開いていましたが、泣いていたとのことで、とても辛い経験となったようですね・・・。
そんな高見恭子さんと馳浩さんは衆議院議員の松浪健四郎さんの紹介で出会ったと言われています。馳浩さんは出会った瞬間に一目惚れをしたといいます。
なんと出会った翌日には高見恭子さんの母親が亡くなった締まったのですが、その葬儀も馳浩さんが仕切るなどして、辛い時期の高見恭子さんを支えました。
交際してからは、1週間で結婚の話がでるなど、すぐに意気投合したと言われています。しかし、お互いにバツ1ということで、交際1年たった1995年にご結婚をされています。
誰しも一度失敗すると、次はもう失敗したくないという思いがあるんですよね・・・。そんなお2人は2015年11月には結婚20周年を迎えていますが、「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー2015」を受賞されています。
とても仲睦まじいい姿をメディアでも見せているお2人。本当に仲の良い夫婦なのが分かりますよね。そして1997年12月には鈴音(りおん)さんという娘さんが誕生しています。
一人娘ということで、目に入れても痛くないという感じでしょうね。これからも仲良しなお2人で過ごされてほしいです。
馳浩の元嫁はどんな人?
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馳浩さんが最初のご結婚をされたのは1990年3月31日の事でした。お嫁さんはロシア格闘技サンボ界の大御所だったビクトル古賀さんの長女である古賀仁美さんという方です。
高校時代にはアフガニスタンに留学するなどしていて、ペルシャ語と英語が話せるというトリリンガルだということが分かっています。
知り合ったのは馳浩さんが1989年6月にロシアでサンボ修行を行っていた時で、その師匠が元嫁・仁美さんの父親であるビクトル古賀さんだったようですね!
結婚式の場所は京王プラザホテルで、200人以上の参列者がいたと言われています。しかし、離婚時期は不明なものの、2人は5年経たずに離婚されたといいます。
離婚理由はさまざまな憶測などがあるようですが、馳浩さんの不倫疑惑があったからなどと言われていますが、夫婦にしか分からないことですし、本当に不倫があったのかも本人にしか分かりませんね・・・。
ビクトル古賀さんの娘さんである古賀仁美さんも、馳浩さんのように、新たな幸せを掴んでいたらいいな~と感じます。
馳浩と山田邦子の関係?
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馳浩さんと山田邦子さんは実は34年の因縁の伝説的な和解をしたというのが2021年1月に話題になっていました。話は、1987年4月に放送された「ギブアップまで待てない!ワールドプロレスリング」での出来事までさかのぼります。
MCが山田邦子さんということで当時はまだ26歳でそこまでプロレスに詳しいというほどではなかったようですね。アントニオ猪木とマサ斎藤の流血戦の映像をスタジオでゲストと見た後に、ゲストで来ていた馳浩さんにこう質問を投げかけています。
「控え室で血なんかすぐ止まるもんなんですか?」
その質問に対して、馳浩さんは、
「つまんない話聞くなよ! 止まるわけないだろ」
と答えたことで番組自体の空気が凍り付いたと言われています。この出来事から34年経ってやっと表舞台で2人がグータッチをして和解をされています。
馳浩さんは面白くしようというバラエティー番組が嫌だったのかは分かりませんが、戦いでのことを少し面白おかしく聞かれたのがいやだったのでしょうか?
当時の心境がどうだったのかなどは触れられていませんでしたが、若い頃って血の気が多かったりしますからね。お互いに若気の至りということなのでしょう。
とにかく若いしてよかったですし、山田邦子さんは2019年にも芸能40周年を記念して女子プロレスをされていたりと、プロレスが好きなんだな~というのも伝わりますし、これからまた共演があると面白そうですね。
馳浩のプロレスの評判は?
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馳浩さんはプロレス時代の評判はどうだったのでしょうか。経歴と共に見ていきましょう。馳浩さんは、ジャパンプロレスに入門した直後の1986年にプエルトリコでデビュー戦をされています。
日本での試合が最初の舞台ではなく、最初から海外での試合をされた選手というのはあまりいないのではないでしょうか。そういったことを考えても、相当な期待がされていたことが分かりますね。
当時のリングネームは「イロ・アセ」と呼ばれていたようで、デビューから半年経った1986年7月には、新倉史祐(にいくら ふみひろ)さんと組んでWWC世界タッグ王者に挑戦されていました。
この戦いには敗れていますが、海外での修行を続けて、1986年8月からはカナダのカルガリーに渡り、新倉さんとマスクマンコンビ「ベトコン・エクスプレス」として活動していました。
その後日本に帰国して、1987年12月27日に小林邦昭(こばやし くにあき)さんが保持していたIWGPジュニアヘビー級王座に挑戦したのが国内でのデビュー戦となりました。
この時には勝利を収めて王座奪還しています。フィニッシュ技として使用されたノーザンライトスープレックスは、馳浩さんの代名詞としても未だに使われているほどです。
それ以降もとても人気のあるプロレスラーとしてご活躍されています。馳浩さんは未だに人気となっていて、youtubeでも戦っている動画などが投稿されていたりと、お酒と共に動画を閲覧する人もいるくらいなんだそうです。
そういったことを考えても、とても評判の良いプロレスラーだったことが分かりますね。今でも人気の理由がわかりますね!
馳浩の身長は?
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プロレスラーとして活躍された馳浩さんの身長がどれくらいなのか気になったので、調べてみると、なんと183㎝ということが判明しました。
プロレスラーの方って肩幅が広かったりと鍛えているイメージはもちろんありますが、それに加えて183㎝の身長があることを考えると前から歩いてくるだけでも怖いですね(笑)
未だに迫力があるのではないかな~と思いますが、馳浩さんはとても笑顔がチャーミングなのでそういったギャップも魅力的だな~と感じます。
馳浩の現在の様子は?
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馳浩さんの2024年現在は、石川県の知事をされています。また、日本維新の会の顧問などもされているようですね!政治家としては衆議院議員を7期、文部科学副大臣、文部科学大臣などもされてきました。
プロレスラーだったということは紹介しましたが、プロレスラーになる前には国語の教師として教壇に立っていたこともある教師免許も持っているということでとても勤勉な方なんだそうです。
そういったこともあり、政治についてもとても勉強されたのでしょう。石川県の知事ということで、2024年1月の能登半島地震の時にはお正月休みということで東京の自宅に帰省していました。
しかし、地震を受けて、30分後には自衛隊の要請、そして自衛隊などへの要請後には、自ら首相官邸へ出向いて地震の対応などを行っていました。
また、夜にはヘリコプターで現地入りをするなど、とても対応が早いことも話題になっていました。こういったピンチの際にすぐに行動を起こせる人が知事をされているというのが本当に心強いなと感じますね。
この記事のまとめ
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今回は、馳浩さんの現在のお嫁さんである高見恭子さんや元お嫁さんである古賀仁美さんについても見てきましたが、いかがでしたでしょうか。
馳浩さんは元教師、そして元プロレスラーという肩書をお持ちでありながら、石川県の知事をされています。とても真面目な方ですし、県民のことを本当に考えられている方だなと感じます。多忙な毎日だとは思いますが、これからも体調などに気をつけて活動をされていってほしいですね。
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