俳優でもあり、番組司会者としてお茶の間の人に親しまれている石坂浩二さん。石坂さんと言えば、テレビ番組の司会者や報道番組のコメンテーター、はたまたアニメの声優など多岐にわたって活躍する俳優です。
また、石坂さんの元嫁の女優の浅丘ルリ子さんは昭和を代表する名女優さんです。今の若い世代の方はそこまで知る人はいないかもしれませんが、数々の賞を受賞しており、日本人なら誰もが知っている名ドラマ「男はつらいよ」シリーズにも出演しておりました。
今回はそんな石坂さんについて、また石坂さんの元奥様である浅丘ルリ子さんとの馴れ初めや離婚理由、また趣味として活動しているプラモデル制作がどれほどのものなのかについて徹底検証していきます。
石坂浩二の元嫁(浅丘ルリ子)はどんな人?
ここでまず、浅丘ルリ子さんいついてのプロフィールをまとめてみました。
・名前:浅丘ルリ子
・生年月日:1940年7月2日
・出身:中国/長春
・代表作:「渡り鳥」シリーズ「流れ者」シリーズ「男はつらいよ」シリーズなど
引用元:映画.com
浅丘さんは、日活(日活株式会社)の看板女優として、昭和の名女優として活躍してこられました。ここでは、小林旭監督の「渡り鳥」シリーズや、「流れ者」シリーズでこちらも昭和の大スター「石原裕次郎」さんの相手役として「銀座の恋の物語」「憎いあンちくしょう」などに出演しました。
画像元:映画.com
日活を引退した後は、「男はつらいよ」にシリーズ最多となる4度の出演を果たし、マドンナ・リリー役を演じ、02年に紫綬褒章、11年に旭日小綬章を受章するなど、多岐にわたって活躍されました。
石坂浩二と元嫁(浅岡ルリ子)の馴れ初めは?
では、石坂さんと浅丘さんの馴れ初めはどんなものだったのでしょうか?お二人の馴れ初めは、浅丘さんの自著「女優 浅丘ルリ子 咲き続ける」で語られていました。
石坂浩二さんが浅丘さんを知ったきっかけは、当時石坂さんとお付き合いをしていた、加賀まりこさんから「浅丘さんはいい女優さんだから会った方がいいわよ」と紹介されたことがきっかけだったといいます。
そして、1971年1月に日テレで放送された「2丁目3番地」での共演がきっかけで仲を深め、同年にお二人は晴れて結婚しました。
1971年3月21日、当時の人気バラエティ番組「スター千一夜」に2人そろって出演した際に、番組司会者から結婚を決めた理由を聞かれたときに石坂さんは、「彼女のことが好きで好きでたまらなかった」と答えるほど、浅丘さんにベタぼれだったそうです。非常にラブラブでうらやましいですよね。
石坂浩二と元嫁(浅岡ルリ子)の子供は?
気になるところは、石坂さんと浅丘さんの間にはお子さんはいらっしゃるのでしょうか?結論から申し上げると、石坂さんと浅丘さんの間にはお子さんは一人もいらっしゃいません。
兼ねて、石坂さんはお子様がほしかったそうです。しかし、浅丘さんは当時から大女優で、家事や子育てができるほどの余裕はなかったようです。浅丘さん自身も、大の子供好きを公言しており、子供が欲しくなかったわけではないようですが、お子さんは作らなかったようです。
そこからお二人は離婚後、石坂さんは2001年に22歳年下の女性と再婚をし、浅丘さんは再婚はしませんでした。また、再婚した石坂さんも再婚相手の女性とは子供はできておらず、現在もいらっしゃいません。
石坂浩二と元嫁(浅岡ルリ子)の離婚理由は?
そんな第三者から見るとラブラブに見えた石坂さんと浅丘さんですが、そんなお二人はなぜ離婚に踏み切ってしまったのでしょうか。
石坂さんとの結婚後浅丘さんは、徐々に石坂さんにほかの女性の存在を少しずつ感じ始めたといいます。そこから5年ほど経ち、当時の石坂さんの趣味でもあった絵書きのために、別の部屋にアトリエを借りたことで、浅丘さんが女性の存在を確信したそうです。
女性の直感とは本当にすごいと感じさせられます。とはいうものの真相は不明みたいですけどね。当の石坂さんもこの女性関係のことを真っ向から否定しました。
石坂さんは浅丘さんとの離婚理由について、病気がちであった石坂さんのお母様を介護したい理由やお二人の間に子供がいなかったことから、「女優である浅丘さんに実母の介護をさせるわけにはいかない。そして自分も、母と一緒に暮らしたい」と語ったそうです。
そして結婚30年という長い月日を一緒にしてきたわけですが、ここでピリオドを迎えてしまったようです。終わり方というのはなんとも切ないものです。
石坂浩二はどんな人?
ここからは、石坂さんの簡単なプロフィールをまとめてみました。
名前:石坂浩二(本名:武藤兵吉)
生年月日:1941年6月20日
血液型:O型
学歴:慶應義塾大学法学部卒業
引用元:プロダクション尾木
石坂さんは東京・銀座で生まれ、都内でも有数の高級住宅街でもある田園調布で育ちました。学生時代は慶應義塾中学・高校・大学に通った正真正銘の慶應ボーイでもあります。
石坂さんの代表作と言えば、「犬神家の一族」シリーズや「白い巨塔」シリーズなどの名作ドラマにも多数出演しています。
また、その他にもバラエティ番組は報道番組にもコメンテーターとして出演しています。その中でも石坂さんのイメージが強い番組といえば、テレビ東京で放送している「なんでも鑑定団」ですね。このように、多岐にわたって活躍されている名俳優さんです。
石坂浩二のプラモデル作品が凄い?
実は石坂さんはプラモデル制作が趣味で、その制作歴はなんと60年という大ベテランだったのです。プラモデルは細かく集中した作業が必要となり、マニアックな方の中では現在ではガンダムのプラモデルなどで有名な「ガンプラ」などが有名なものです。
石坂さんは、2009年に自信が立ち上げたプラモデルクラブ「ろうがんず」の代表となりました。このクラブのコンセプトはみんなでプラモデル制作を楽しみ、共有していくというスローガンがあるそうです。
なんとも素敵なスローガンですね!石坂さんは様々な作品を制作しており、その腕はさすがと言わざるを得ないものばかりです。
画像元:スポニチ
画像元:ソレドコby楽天
このように、石坂さんの作品は戦艦や戦闘機などなかなかマニアックなものが多いですよね。それにしてもこのように趣味にひたむきに向き合っていき、そこに陶酔していく方は本当に素敵だなと関します。
石坂浩二さんのまとめ
今回は、石坂浩二さんについてご紹介してまいりましたが、いかがでしたでしょうか?石坂さんと浅丘さんは当初はラブラブで、順風満帆な結婚生活を過ごしていられたそうですが、互いの価値観や石坂さんの女性関係で離婚に踏み切ってしまったそうです。
また、そのことからお二人の間にはお子さんもいなかったようです。また石坂さんは、プライベートではプラモデル制作に精を入れて、現在では「ろうがんず」というプラモデル制作クラブも立ち上げています。本当に趣味にひたむきな男性は素敵だと思わされます。
そして浅丘さんも、大女優であることがわかったと思います。日本では芸能人の中では最高峰の賞である、「日本アカデミー賞主演女優賞」や、天皇陛下から受賞される「紫綬褒章」も受賞している方でもあります。
石坂さんとの離婚後も、女優活動は健在で現在もご活躍されています。石坂さんも浅丘さんも昭和の大スターで、現在でも変わらず活躍されています。今後のお二人の活躍に注目していきたいです。
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