さて、今回は関ジャニ∞のメンバーとして大活躍の横山裕さんについて見ていきたいと思います!取り急ぎ、横山さんの簡単なプロフィールから紹介していきます
生年月日:1981年5月9日
出生地:大阪府
身長:176cm
血液型:A型
大阪府出身の横山さん。ジャニーズなのでイケメンなのはもちろん、しゃべりも芸人さんなみに面白いことで有名ですよね。今日はそんな横山さんのご家族の話題について見ていきたいと思います!
横山裕の母親の画像?
まずは横山さんの母親について。横山さんのお母さんはどのような方だったのでしょうか?お母さんについて見ていく前に、まずは横山裕さんの幼少期について。とても大変な経験をされていたみたいですね。その詳細がこちら
横山さんが3歳の時に、両親が離婚することになり、実の父親とも離れてしまうことになる。それ以降は全く会うことはなく、母一人子一人の生活が始まったそうです。そして横山さんが4歳の時に、母親が再婚することになり、6歳の時に次男が生まれ、8歳の時に三男が生まれたそうです。
また横山さんは、義理の父親から理由もなく棒で叩かれたりし、義父と合わなかった為、挙句の果てには、一人だけ母方の祖父母へ預けられることとなり、中学まで過ごしたそうです。横山さんが中学の時に祖父の体調が悪くなり、その後心臓病で他界したため、実家へ戻りましたが、またもや義理の父親からの虐待を受けていたそうです。ですが、母親が横山さんと弟二人を引き取って離婚をしたため、今度は横山さんが中学時代からバイトをして、家計を支えるようになったそうです。
また、高校受験の話もあったそうですが、経済理由から結局高校へは行かずに、建築会社で働いて家計を支えながら、ジャニーズJrの活動をするようになりました。ジャニーズJrでは食べていけないので、仕事が終わって、ジャニーズのレッスンという忙しい日々を送っていたそうです。
あんなに明るい盛り上げ役の横山裕さんにこんなに大変な過去があるなんて知りませんでした、、、こんな辛い経験があるからこそ、ファンを引きつける魅力があるのかもしれませんね。そんな気になる横山さんのお母さんの画像がこちら
手前に写っているのが、まだ小さい時の横山裕さんですね。お母さん、とても優しそうな方ですね。そんな母親について、横山裕さんはこのように語っています
横山さんは母親の性格を、性格は適当だけど心配性で、めちゃくちゃ何回も電話してくるといっています。横山さんが電話してくるなと言ったみたいなので、だいぶ減ったみたいです。でも、やっぱり、できるときに何かしてあげな~と思います。と語っていました。
また、おばあちゃんやおじいちゃんが亡くなって、より一層そう思うようになったみたいで、コンサートを見に来ることが楽しみであれば、来てもらって楽しんでもらえればいいなって、そして、体にだけは気をつけてほしいと思っています。とも語っていました。
芸能界、ましてや大人気グループであるジャニーズの関ジャニ∞のメンバーともなると、スケジュールが大変な時も多いですから、母親としては心配になりますよね。そんなお母さんをいたわる横山裕さんもまた素敵ですね。
母親の告別式と命日?入院と急死で亡くなる?スーパーとメンバー?
そんな横山裕さんに2010年に突然の不幸が訪れます。なんと最愛のお母さんが亡くなったのです。スポーツ報知が新聞で報じた当時の様子がこちら
横山さんの母が亡くなったのは2016年5月16日午前のこと。スーパーで買い物中に虚血性心疾患で突然倒れ、救急車で病院へと搬送されたが、入院してそのまま帰らぬ人となったという。50歳、若すぎる死だった。
横山さんは当時、全国14カ所を巡るソロコンサート『横山YOUがヤっちゃいます~3 2010春』の真っ最中。母が亡くなった日も「仕事に穴はあけられないから」と16時からの青森公演を気丈につとめあげた。「いつもの公演と同じように楽しいステージとMCで会場を盛り上げてくれていたんですが、『オニギシ』を歌う前くらいからヨコの言葉がなんとなくつまるようになって。いつになくまとまりがないまま『聴いてください、オニギシ。』とだけ言って、客席に背を向けちゃったんです」
この『オニギシ』という曲は、関ジャニ∞内ユニット「三兄弟」による名バラード。横山が作詞を担当し「女手ひとつで育ててくれたお母ちゃん」との愛情あふれるエピソードが、等身大の言葉で綴られている。「歌の途中で『お母ちゃん、ボクは何してあげられた? 優しかった? もっと一緒に笑いたかったな。でももうそれも遅いんやな……』ってセリフがあるんですが、そのあたりからヨコが泣いて歌えなくなっちゃって。客席からの声援を受けてなんとかまた歌い始めたんですが、すごく苦しそうでした。結局、最後の最後までスクリーンの方を見たまま歌ってましたね。
以前の大阪公演のとき、ヨコのお母さんが会場に来ていて、ヨコが『反抗期のまま来てしまったから、(面と向かっては)よう言わんから言いますけど……元気でおってくれたら、それでいいです』って言って『オニギシ』歌いながら泣いちゃったって話を聞いてたから、てっきり今回も感動の涙かと思ってました。今思うと胸が張り裂けそうです」
その後、翌日に青森で予定されていた『関ジャニ∞のジャニ勉』(関西テレビ)のロケを休んで帰宅し、通夜に参列したという横山さん。18日の告別式には関ジャニ∞のメンバーが全員参列し、横山母の死を悼んだという。ジャニーズ公式携帯サイ「Johnny’s web」内の連載『よこやまゆうのにっき。』には、17日から19日まで毎日のようにファンや仲間へ向けての「ありがとう」という言葉が見当たり、22日には「いつも心のなかに。俺はいつまでも、これからも子供。いつまでも、これからも長男。頑張るを頑張る」「なんだってできる。なんだってやってやる。ちゃんと見ててや」と母に誓うように、メッセージをつづった。
以前から「ミナコ(※横山さん母の名)ってホントバカなんですよ~」「家ですっぽんぽんで出てきたりね。おっきいパンツはいてても、ミナコがはくとTバックになる」などなど、ことあるごとにお母さんをネタに笑いをとってきた横山さん。そのためミナコさんの名前はメンバーやファンの間でもお馴染みであり、今回のコンサートのMCでも「今度韓国旅行をプレゼントしてあげたい」と語るなど、その愛の深さは皆が知るところだった。
命日は2010年5月16日で、50歳だったということですが、あまりにも若いですよね、、、病気などではなく急死だったということで、横山裕さんのショックは計り知れなかったでしょうね、、、、
そんな中でもしっかりとコンサートを勤め上げる横山裕さんのプロ根性は素晴らしいと思います。誰にでもできることじゃないですよね。そして横山さんの母親の告別式には関ジャニ∞メンバー全員が参列したそうです
横山さんは、葬儀にメンバーが全員が参列したことを「めっちゃくちゃ嬉しかった」「すごく誇れた」と語っていたそうです。
一方メンバーの大倉さんが「横山君が泣いてる姿を初めて見た」と語っており、「これからはオレらが横山君の家族にもならなあかん」と、葬儀の後、丸山さんの家に皆で集まり話しあったとも打ち明けています。
本当にいいグループですよね。これからもずっと応援していきたいな、と思わせてくれるグループです。横山さんも、精神的に辛い時にメンバーが心の支えになったのではないでしょうか。これから、お母さんのためにもさらなる活躍を期待したいですね。
ということで、今回は横山裕さんについて見てきました!明るく、みんなを笑わせてくれる横山さん、たくさんの辛い経験を乗り越えてきていたんですね。そんな横山裕さんをこれからも応援していきたいです!!
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