今回は俳優の柄本明さんについて見ていきたいと思います。まずは柄本明さんの簡単なプロフィールから!
柄本明(えもと あきら)
1948年11月3日生まれ
岩手県出身
B型
工業高校を卒業し商社に就職しましたが、俳優への憧れのため金子信雄さん主催の劇団「マールイ」の演劇教室に通い始めます。そこで俳優の松田優作さんと知り合ったそうです。
NHKで大道具のアルバイトをしながら1974年に自由劇場でキャリアをスタートし、その2年後に退団して、ベンガルの綾田俊樹さんと劇団東京乾電池を結成しました。
東京乾電池には、のちに自由劇場時代に交流があった高田純次さんや岩松了さんが参加しています。それからしばらく舞台で活躍しましたが、1998年に映画「カンゾー先生」で、報知映画賞主演男優賞などを受賞し映像の世界でも活躍し、2011年には紫綬褒章を受章しました。
1992年に映画「空がこんなに青いわけがない」の監督を務めましたが、それ以降監督はしておらず、柄本さんも「もう二度とやりません」と話しているようです。またコメディも得意ですが、コントは志村けんさんとしかやらないというこだわりを持っています。ちなみにその時には柄本さんがボケ、志村さんがツッコミを担当しています。
他に親交が深い芸能人に笹野高史さんや渥美清さんなどがいて、幅広い交友関係を持っているようです。プライベートでは女優の角替和枝さんと結婚し、3人の子供(長女のかのこさん、長男の佑さん、次男の時生さん)が生まれました。
今では息子2人も俳優として活躍しており、時生さんとは大河ドラマ「功名が辻」とドラマ「Q10」で親子共演を果たしています。
嫁は病気でうつ病?画像と名前は角替和枝で読み方?
先ほども少し触れましたが、柄本さんは女優の角替和枝さんと結婚しています。名前の読み方が少し難しいですが、つのがえかずえと読みます
角替和枝(つのがえ かずえ)
1954年10月21日生まれ
O型
小説家や演出家として活躍する内田栄一さんと俳優や脚本家として活躍する金子正次さんと共に劇団東京ザットマンを立ち上げ女優デビューし、その後つかこうへい事務所に所属したのちに東京乾電池に所属しました。
東京乾電池へ参加する頃にはすでに3人の子どもが生まれてたので、子育てと女優をしっかりと両立していたようです。子供たちは学校帰りに劇団に寄って角替さんの仕事が終わるのを待っていたそうなので、息子2人が俳優を目指したのは幼い頃の環境のおかげだったのでしょう。
そんな角替さんですが、2010年頃からうつ病を患っていたようです。ニューヨークへ夫婦で旅行に行った際に角替は心臓の痛みを訴え、帰国後にうつ病と診断されたそう。
医師からは「午前6時起床、午後10時就寝」を守るように指示され、柄本さんが6時に角替さんを起こし22時には一緒に寝るようにし、家族みんなで角替さんに負担をかけないよう協力しました。
その結果、2年ほどかかったもののうつ病は治ったようです。家族の絆があったからこそ回復できたんですね。また、角替さんの出演作を見てみると、うつ病であったとされる期間も作品が途切れていません。もしかしたら演じるということも角替さんの心を支えていたのかもしれませんね。
朝ドラマとCM?
最近ではバファリンのCMでのお母さん役なども記憶に新しい角替さん。舞台出身ながら主にドラマや映画で活躍しています。
特にNHKの連続テレビ小説には6回も出演しています。中でも2011年に放送された「おひさま」では、次男の時生さんと親子役で共演しています。
そして、その時に時生さんの妻役を演じた安藤サクラさんは翌年、長男の佑さんと結婚しています。つまり、母、息子、義理の妹で家族を演じたのです。すごい運命ですね!でも長男の佑さんはもしかしたら少し複雑な心境だったのかもしれませんね笑
今回は柄本明さんとその妻の角替和枝さんについて見てきました。芸能一家と呼ばれる才能あふれる家族ですが、辛い時には支え合う素敵な温かい家族でもあったんですね。柄本さんご夫婦にはこれからも健康に長く活躍してほしいですね!
コメント