今回は伝説のミュージシャン、尾崎豊さんについて見ていきましょう。
尾崎豊
1965年11月29日生まれ
東京都出身
B型
尾崎さんは小学生時代は不登校、中学では生徒会副会長を務めるも喫煙により停学、高校では喫煙、オートバイ事故、飲酒に加え乱闘事件も起こし無期限停学処分を受けてのちに退学という、決して順調とは言えない青春を過ごしました。
しかし、高校中退をきっかけにCBSソニーが主催するオーディションを受け合格し1983年12月にデビュー。3rdシングル「卒業」の過激な歌詞が話題となりブレイクしました。
10代の作品は社会への反抗や反支配をテーマにしたものが多く、「10代の教祖」「若者のカリスマ」と呼ばれ若者に大きな影響を与えました。
しかし20代になると方向性を見失い渡米するも半年で帰国。レコード会社の移籍や覚醒剤使用による逮捕で精神的に不安定になり、復帰直後の作品は満足のいく出来ではなかったようです。
その後1988年に一般女性と結婚、1989年に長男・裕哉さんが生まれたことで新たな方向性を見出し、1990年にリリースした「誕生」と翌年の大規模ツアーの成功により復活しました。
しかし1991年に母が急死したことで再び精神的に不安定になり、1992年4月25日に26歳の若さで亡くなりました。
尾崎豊の死因と右目とフライデー?場所と薬と肺水腫?遺書?
尾崎さんの死因には様々な説があります。
当時の状況を見てみましょう。
1992年4月24日、尾崎さんは奥さんとともに後楽園近くでのパーティーに出席しました。
その後ホテルの喫茶室で旧友と偶然再会し、そこで奥さんと別れて芝浦のバーへ繰り出しました。
店員に殴りかかるほど酔った尾崎さんは日付けが変わった午前1時半頃にバーを出てタクシーに乗りますが、ここでも運転手に絡み交番に連れて行かれました。
和解をして交番を出た1時間後、民家のブロック塀に頭を打ち付けている尾崎さんが目撃されています。
そして早朝5時、ばら撒かれた所持品と共に全裸で庭に倒れている尾崎さんを住人が発見し、病院に搬送されました。
(この民家は後に、住人が訪ねてくる尾崎ファンのために一室を解放し尾崎ハウスと呼ばれるファンの聖地のような場所になりました。しかし2011年に取り壊されました。)
意識が戻り、医者の体温も脈も正常だという判断から、病院に駆けつけていた奥さんと午前7時半頃に帰宅。
しかし午前10時頃に容体が急変し日本医科大学付属病院に搬送されましたが、午後0時6分に亡くなりました。
1999年には、写真週刊誌のフライデーで尾崎豊が当時、病院で尾崎豊が蘇生処置を受ける写真が公開され、誰かに殴られ、膨れ上がった右目や、全身に刻まれたたくさんの傷が写った写真に多くのがファンが衝撃を受けました。
上記のように、尾崎さんの体には多くの痣や傷があり傷害致死事件の可能性もありましたが、司法解剖の結果、死因は過度な飲酒による肺水腫だと発表されました。傷に関しては、意識朦朧として、身体を打ったというように判断されたということでしょうね
肺水腫とは、肺の中に水が溜まり、呼吸不全となってしまう病気です。
しかし1994年に流出した死体検案書に覚醒剤が検出されたことが記載されていたことや司法解剖医の話から、死因は覚醒剤の大量服用による肺水腫であったと判明しました。薬が原因という可能性が浮上したということですね
また、尾崎さんは自身の死を予感していたのか遺書を遺しています。この遺書は2011年11月10日発売の文藝春秋で公開されました。
記事を担当したジャーナリストの加賀孝英さんは遺書の存在が明らかになった1994年には全文を入手していたそうですが、尾崎さんの奥さんに息子が物心つくまでは公開しないでほしいと要請され、裕哉さんが成人しミュージシャンとしての活動を始めたことをきっかけに公開しました。遺書は2つあるとされています。
「先立つ不幸をお許しください。先日からずっと死にたいと思っていました。
死ぬ前に誰かに何故死を選んだのか話そうと思ったのですが、そんなことできるくらいなら死を選んだりしません。
ただ死という状況が瞬く間に訪れるのです。生と死を知り、生を葬ることである。
生と善意はあれど、死を感ずるとおろ、ただ失意のごとくに死に向かい、今ひとり人の群棲を歩き、痛み、ただ雨の如し。
思いう虻まだ浅き月日おも、人の言う己を語り尽くすには足ず。
最果てはすべてを許したいけれど、その余りいまなお生きる我に痛みの雨ぞ降りて折り
あなたの歌が聞こえてきます。
まだ若かった頃のあなたの声が、あなたのぬくもが甦ります。
さようなら 私は夢を見ます。」
「尾崎繁美となりたもうた女神よ
いまの悲しみに真のあなたの美しき華麗な優しさを覚えます。
やがて、この暮らしを鏡として、そしてあなたを求愛し、貴方を幸せに導きます。
私たちの会いに育まれる天使悠哉を、天命のもとに敬愛します。
あなたは天命たる天女、そして天命たる女神、子はその道のもとに生まれたる天使。
やがて世の幸を待つ人々にとって使徒となるものたちが、私たちのために幸働く日が来るでしょう。
その日のためにあなたをこよなく愛します。
あなたを生涯守ります。
あなたに世界、そしてこの世の全ての幸せとなる尾崎豊より捧げます。
天の女神、そして天の使徒を守る天の子、そして幸を待つ人々のために。
繁美、あなたは本当に女神なのですよ。
裕哉、君は間違いなく天使なのですよ。
私はただあなたを愛する名の神でありつづける。
皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい。」
とても詩的な文章ですね。しかし、尾崎さんのお父さんとお兄さんは遺書の存在を否定していて、ファンの間でも本当に尾崎さんが書いたのか疑問視する意見が多くあるようです。
いずれにしろ、尾崎豊さんという日本の宝を失ったのは本当に残念なことですね。
とくダネ!と原因は妻?
すでに述べた通り、尾崎さんの死因については謎が多く、自殺説や他殺説が囁かれています。以前ワイドショーの「とくダネ!」で息子の裕哉さんを特集した際に、小倉智昭さんが尾崎さんは自殺だと謝って伝えたことがありました。
(息子の尾崎裕哉さん。)
特集では遺書の話題もあり死因自体も様々な情報が錯綜しているので勘違いしてしまったのかもしれませんね。
一方で、他殺説も多くの人の間で残っています。その説の一つが尾崎さんの妻が原因というものですね。実は、尾崎さんは家族で創価学会の学会員でした。
しかし1991年に創価学会が日蓮正宗から破門されたことをきっかけに、尾崎さん、父、兄は脱会し、奥さんは残ったそうです。
尾崎さんの死後、奥さんにはかなりのお金が入ったようですから、奥さんを疑う声もあるようです。
尾崎さんの外傷がかなり酷いことや、実際に暴行したという人物が名乗り出るなど、確かに病死と一言で片付けるには少し違和感を感じます。
24年が経ったにも関わらず現在も多くの謎が残っています。
若くして亡くなった伝説のミュージシャン、尾崎豊さん。
先日放送された「音楽の日」で、息子の裕哉さんがミュージシャンとして、名曲「I LOVE YOU」を披露しました。
これからも尾崎さんの音楽が長く受け継がれていくことを願います。
コメント